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座禅の目的について(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 2月26日(土)20時15分19秒
返信・引用 編集済
   朝おきてからと寝る前に毎日座禅をし、お経を読んでいる。その効用だと思うのだが、この頃、腹が、立たなくなってきた。
 正確に言うと不愉快に思うことは、普通にあるのだが、それをひきづらないというか、人に対する恨みつらみというマイナーな感情が、なくなってきた。
 年のせいか、夜目を醒ましたりすることも、多くなってきたが、不安にかられることもこともなく、ゆったりとした気持ちで、また目をとじて、眠りにつくことが、できるようになった。
 ミスをしても、開きなおることもなく、恐縮することもなく、平気で対応できるようになった。動揺することが、少なくなってきたのである。(私は、恐縮すべきことは、恐縮したほうが、よいように思う。これが、座禅をすることの欠点だと思う。)その他にも、唾液の分泌がよくなった。睡眠中、鼻で息をすることもできるようになった。
 以上のことは、くどいようだが、座禅の目的ではない。座禅の効用である。
 それならば座禅の目的とは、何であろうか?
 私は、毎日、般若心経と法華経の如来寿量品偈を唱えている。
 般若心経には、何が書いてあるかといえば、生、老、病、死といったものからくる苦しみや悲しみは、心が作りだしたもので、実態が、ないものだということが、書いてあるのである。
 人間は、さまざまな妄想に囚われる。しかし、それらは、すべて心が、つくりだしたものである。それらの妄想を消滅させるには、座禅は、有効な手段であると思う。著名な臨床心理士たちが、禅宗にひかれるのは、この点にあるのであろう。しかしそれは、座禅の効用であって、座禅の目的では、ないのである。以前私は、無の境地とかにあこがれをもった時期もあった。しかし座禅は、無の境地なぞは、めざしていないのである。


 
 
 

この国のこと

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 2月25日(金)20時36分25秒
返信・引用
   先日、湯船に浸かって、テレビをみていると、「外国人が提言する日本人を幸せにする方法」をたけしの番組でやっていた。
 国民一人当たりに、毎月10万円やる方法というのを著名な学者が提言していた。その代わり生活保護などを無くしてしまうのだ。
 私もひそかに、今の国民年金が、2倍になる方法なぞを日々夢想している。生活保護を無くしたいのである。
 それは、さておきその財源は、税金によるのである。
 それが、実現可能なことであるという例にデンマークをあげていた。
 デンマークの所得税は、60パーセント。消費税25パーセントである。
 それにもかかわらず、国民の満足度は、世界一なのである。ちなみに日本は、90位である。
 平成6年に私は、仲間のもの4人で、デンマークの福祉を、見にいった経験があるのだが、そのころデンマークは、世界で最高の老人福祉のシステムを誇っていた。
 デンマーク人は、世界で、もっとも利己的な国民であるといわれていた。
 日本国民は、人の良さをもった民族であると思う。
 それが、なぜ一方は、世界で最高の老人福祉システムをつくりあげたのに、一方、我が国は、貧弱な老人福祉システムしかもてないのだろうか。
 私は、そのことを、ずっと考え続けた。
 そして、私なりにだした結論は、デンマーク人の考え方の根底にあるものは、「個人主義による合理主義」であり、日本人の考え方の根底にあるものは、「村社会における保身」であった。
 日本人にかけているものは、合理的な考え方であった。
 デンマークは、所得税や消費税は、高いが、法人税は、安いのである。国際競争に勝たなければならないからである。
 選挙のときに、ある政党は、消費税を上げて、法人税を下げることを批判していた。これは、どうして、こうなるかといえば、産業革命期の労働者の搾取を目の当たりにしたマルクスは、問題解決の方法として、生産手段の国有化を考えたのである。
 敵から生産手段を奪わなければならないのである。つまり、生産手段の国有化という視点からみた場合資本家、あるいは、企業は悪なのである。
 しかしながら、生産手段の国有化が、日本の国に必要だと思っている人は、ほとんどいないだろう。
 そういう目的にかかわらず、企業批判をよしとする人は、思料が足らないのでは、ないかと私は、思う。



 
 

八百長について

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 2月20日(日)20時28分47秒
返信・引用 編集済
   今大相撲が、八百長問題で揺れている。以前山田風太郎の次のようなエッセイを読んだ。『私の友人に大変な相撲ファンがいて、この人に煽られて、場所中私もわりに熱心にテレビを観ている。ところが、この人はふしぎなひとで、そんなに私をケシかけておいて、うしろから「これも八百長」「あれも八百長」とつぶやいて、こちらの熱度に水をかける。まるでマッチとポンプである。
 取組みの前に、こんどはこっちの勝ち、こんどはあっちの勝ちと予告するのだが、それが、予想される勝敗とは反対の場合でも、ほとんど的中するから奇怪千万である。なぜわかるんだと、ときくと、星の貸し借りの関係でわかると笑っていう。
 その人にいわせると、金で白星を買う場合もあるという。とにかく何百万人かのファンが眼をこらしてみている取組で、まさかそんなことがあろうとは思われないが、そこは玄人だもの、と笑っていう。事実たいていその人の予言する通りの勝敗になるのだから、憮然とせざるを得ない。
 そういわれれば、私などにもふしぎに思われることがある。千秋楽の日、7勝7敗の力士があると、相手の勝ち越し、負け越しが決まっている場合、たいてい7勝7敗のほうが勝ってしまうことだ。
 瀬戸際の気力、ということもあろうが、瀬戸際で硬くなる、ということもあるのだから、これがたいてい勝つのが、ふしぎ千万だ。
 私もだんだん、相撲に八百長はある程度存在するのではないか、と認めざるおえなくなった。金で星を買うのは論外としても、暗黙の約束で星を借り、貸すことがあるのではないか。しかも負ける方が勝手に負けてやって事実上星を貸してやることも……いつか同様の場合、返してもらうために……あるのではないか。こうなると、とうてい八百長であることは看過出来ず、看過できても指摘することは出来ない。いいのがれは何とでもつくからである。
 これが事実だとすると、大まじめに相撲を見ているほうはいい面の皮で、まことにガイタンにたえない。
 しかし、である。
 事実であっても、相撲取りばかりは責められない。よく考えると、八百長はどこの世界にも存在するのではないか。上は政治の世界から、下はわれわれのつき合いの世界でも半分以上は、八百長ではないのか。いやいや、日本の歴史にも八百長的な起承転結の例は無数にある。ひょっとしたら日本は、世界屈指の八百長国ではあるまいか。そう考えたら、憮然とするより私は、笑いだした。』(死言状、平成5年刊)

 
 

明日は、酒が飲めるぞ

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 1月22日(土)18時20分25秒
返信・引用 編集済
   知人から「猪鍋」をするので招待された。明日は、酒が飲めるぞ。
 今年に入って、普段は、まったく酒は、飲まないようになった。
 睡眠時間は、6時間から7時間に延ばした。
 5時に、携帯がなると起き出して、30分間座禅を組んでいる。終わると般若心経、大悲心陀羅尼、法華経の如来寿量品偈、観世音菩薩普門品偈を唱えている。
 夜も、9時20分から座禅、お経を唱えている。
 10時には、寝ている。
 今は、法華経解釈を読んでいる。維摩経解釈、大般涅槃経解釈、碧巌録解釈、無門閥解釈、正法眼蔵を読もうと思っている。
 よくわからないが、この頃仏教に興味を持っている。
 

今年の抱負

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 1月 3日(月)14時11分42秒
返信・引用
   酒をやめようと思う。正月の朝、目が覚めたら、すしがあった。冷蔵庫には、ビールが、冷えている。飲みたくて、堪らなかったが、我慢した。
 家族に、「来年から、酒は、飲まないつもりだと」小さくつぶやいた以上いかにも意思薄弱な気がして、自分の面子を保とうとしたのだ。
 2日は、同窓会が、あったので、その時は、飲んだ。
 中学の時は、いつも図書室で、本を読んでいる姿しか印象にないといわれた。
 天職について、「今まで、一番お金と時間をついやしたものを職業にしたらいい」byひすいこうたろう。
 私が、今までお金と時間を費やしたものといえば、読書とランニングである。
 とにかく、酒を飲むと眠たくなるので、ここらで、人生を立ち直そうと思ったのである。
 私にとって重大決意である。
 5日は、地蔵さんの祭りで、終わった後、お神酒は、いただかなければならないと思っているが、とにかく酒を飲むのは、やめようと思う。
 

感謝、感謝

 投稿者:管理人  投稿日:2010年12月31日(金)05時57分36秒
返信・引用
   この1年を振り返ってみると、良い1年であったと思う。
 感謝、感謝それしかないのである。
 来年もまた、日々好日。
 みなさんにとっても日々好日。
 今年1年ありがとうございました。
 

経済学者に騙されないために

 投稿者:管理人  投稿日:2010年12月29日(水)19時14分50秒
返信・引用 編集済
   読売新聞の時代の証言者のなかで、不破さんは、マルクスは、生産手段の社会化を主張したと書いている。
 私が、思うにマルクスは、生産手段の国有化を主張したのである。国が生産手段を独占するのである。具体的にいえば、財務省、国土交通省などの名義でその生産手段を保有するのである。
 社会化といえば、誰名義でそれらのものを保有するのであろうか。
 かって、偏執狂てき経済学者であるジョン、ロビンソンは、経済学を学ぶのは、経済学者に騙されないためであるという名言をはいた。
 大事なのは、今マルクスが、生きていたなら、この世界をどういう風にとらえるかと言うことなのである。
 マルクスが、直面した現実は、産業革命後のイギリスの搾取される労働者の姿であった。生産財部門と消費財部門の不均衡により革命がおこると彼は、予言したのであった。
 ロシア革命は、マルクスの経済理論と何の関係もないのである。
 ケンブリッジ大学の碩学ケインズが、直面した現実は、今までの経済学理論が、まったく役にたたない世界大恐慌であった。
 彼らは、勇敢にもその現実に立ち向かったのである。現実を変えるために理論を構築したのである。
 現実をごまかすために、もっともらしいことをいったのでは、ない。
 今の日本で、生産手段の国有化など誰も望んでは、いないだろう。
 今の労働問題は、資本家対労働者という図式では、とらえられないのである。正規対非正規という対立構造でとらえるべきである。
 なぜなら、正規の待遇をそのままにして、非正規の待遇をあげれば、ほとんどの事業者は、潰れてしまうからである。
 非正規の待遇を引き上げるためには、正規の待遇を下げなければならないからである。
 従来は、非正規は、夫の賃金を補うための女性の補完的労働と位置づけられていた。今は、補完的労働と位置づけられない状況になってきたのである。

 
 

幸福ていうのは

 投稿者:管理人  投稿日:2010年12月29日(水)18時33分26秒
返信・引用
   年をとってくると、性格が煮詰まってくる。感謝できるか、できないか、人間の幸と不幸を分けるのは、結局は、その点につきるのでは、ないだろうか。
 今年1年いろんな人をみていてそう思う。
 争いのもとは、たいてい不満なのである。
 その不満は、どこから起きるのかといえば、自分の思いどおりにならないことから生じてきているように思う。
 思い通りになること、思い通りにならないこと、それらにどう対応するか、思秋期以後の課題であろう。
 

久しぶりの更新

 投稿者:管理人  投稿日:2010年12月26日(日)20時53分30秒
返信・引用
   久しぶりの更新である。更新しない間にもいろいろあった。
 このごろ人間の幸、不幸について考えている。
 前にも書いたが、思春期以後は、性に翻弄され、思秋季以後は、死を内包して人間は、生きていくのである。
 性に目覚めてからは、人にいえない恥ずかしいことをよく考えていた。まだ、性欲は、あるが、女性に対する思いは、以前から比べるとかなり異なってきている。
 関心が薄れてきたといった方がよいであろう。
 以前は、特定の女性を美化したり、性欲の対象と考えたり、ありのままの女性をありのままに受け入れていくことが、できなかった。
 理想の女性は、罪と罰のソニャー、ジャン・クリストフのアントワネット、城砦のクリスティーであった。
 このごろ、女性に対する感想は、一言でいえば女性として生きていくのもたいへんなんだなあという
感慨である。
 さて、死を内包して生きていくということをもっと詳しく述べるなら、生、老、病、死という人間の逃れられない運命を意識することである。
 すべては、移り変わってゆくのである。
 生きることにむなしさを感じるのである。
 これをどういう風に克服したらよいのであろうか?
 世間的な物差しをすてるなら、正しい生き方、間違った生き方とは、次のようなものである。
 たとえば、AVを見る。面白いと思う人は、それは、それでよいのであるが、私はただ、むなしさを感じてしまうのである。
 それなら、みなくてよいとも思うのだが、みてしまうのである。いわゆる煩悩というものである。
 むなしさ感じるのは、生き方が、間違っているのである。
 正しい生き方とは、むなしさを感じない生き方である。
 

今日は疲れた

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月 5日(火)18時14分26秒
返信・引用
   尖閣列島問題について、書こうと思った。

 しかし、あっちこっちいったので、今日は、疲れてしまった。

 明日、頑張ろう。
 

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